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henoheno(ハワイ語)=かわいい=霧矢大夢さんと日々のあれこれ

「ポリティカル」はアクセサリーじゃない――日生劇場『ヴェローナの二紳士』感想:その2

もう東京公演楽も終わってしまったけど、巡業もあるし…ってことで『ヴェローナの二紳士』私感。

 

 

ここには初日の雑感しか書いていないですが、それなりの回数は観ていた今作。

ただ、いざ文章にしようとなんともとりとめないというか…。

 

初日の興奮が落ち着いて、再度観劇したときの率直な感想は、①「作品としてあまり……」②「でも霧矢さんの役どころは楽しい」でした。

 

①は、特に(政治方面の)時事ネタというものに対してかなり戸惑いました。

 

時事ネタ、というか、政治的なセリフ・表現を演劇作品に組み込むこと自体は、私はまったく構わないと思います。実際、ストレートプレイのほうだと、永井愛さんとか燐光群とか、社会的な問題に真正面からコミットしていく作品は珍しくないですし(そもそも今作は、ベトナム戦争に材を取ったミュージカル『ヘアー』の作曲家ガルト・マクダーモットが音楽を手がけています)。

 

ただ、難しいのは、日常生活のなかでの「政治的なこと」に対して、少なくとも私はとても身構えます(それがいいことではないのは承知していますが…)。

政治の話というのは職場等はおろか、場合によってはそれなりに親しい友人とだってあまり容易にしない人のが大多数ではないかと。

 

だからこそ、たとえば演劇で少しでも「政治的」な要素を含む場合は、とても周到に準備する必要があると思うんです。

政治的になんらかの主義主張があることはいい。でも、それに堂々と触れることに慣れていない観客にその主張を伝えるには、かなりの丁寧さを要する。そうしなければ、その主義主張の是非とは関係なく、「政治的」なその部分が、「政治的である」というだけで浮いてしまって、劇作にうまく生きてこないのではないかと。

 

時事問題を匂わす箇所が「浮いている」という意味では、今作でも、こうした「政治的」な入れ事(言い方悪いですが)に対して、自分の反応を持て余すというか、座りの悪い思いをしたシーンがいくつかありました。

たとえば、シルヴィアがエグラモーと逃亡した際、シルヴィアの父親が「拉致を許すな!」と言うシーン。

 

ここ、結構な確率で笑いが起きてたんですが、私はいつもどうしたらいいか戸惑っていました。

言うまでもなく、「拉致」という単語は北朝鮮拉致事件を思わせるわけですが、だとしたらここ普通に笑っていいの?と。このシーンは、喜劇のなかの一場面として考えたときには笑いが起きてもおかしくない作りだったので(シルヴィアの父とチューリオという、作品中でもっとも喜劇性の高いキャラクターであるふたりのシーンでした)、本来だったら笑いはアリになるのかもしれません。けれど、実際解決していない、現在進行形の社会的な事象が重ねられているのであれば、少なくとも私は単純に笑い切ることが難しく…(霧矢さん絡みでは「オスプレイ」でしょうか)。乱暴に言えば、「いや、笑ってる場合じゃなくない?」状態。

 

この、自分の取るべき態度(笑う、という「共感」のしるしとしての反応を見せるか否か)に困る瞬間というのは=物語世界から逸脱させられる瞬間、なので、そうした瞬間がしばしばあったことはしんどかったなぁ、と。

もちろん、演劇作品のなかにはあえて逸脱を狙う演出がなされるものもあり、もしかしたら今作も多少はそこを狙っているのかもしれませんが、それが批評性としてうまく機能してたようには、私には感じられませんでした。

 

初演のCDを聴くと、今回の音楽は全体にかなりテンポアップされていて、そこは2000年代の「今」仕様に改変されていましたし、きっと台本上でもいくつも手直しが施されていたと思います(初演の舞台を観ていないので憶測になってしまいますが)。

 

ただ、全体に、やっぱりもうちょっと細やかさがほしかったなぁ、と思うのが正直なところです。

いくつかの引っかかった箇所については、もしかして初演で政治的な台詞があったところに、ポコッと現代の政治的な台詞を入れ替えているだけなのでは、という印象が拭いきれず…。

 

座長の西川さんはカーテンコールでしきりと「こんなシェイクスピア作品とは予想外だったかと思いますが(汗)」と、その換骨奪胎ぶりに触れてられてましたが、「換骨奪胎すること」自体はまったくかまわないと思います。

むしろ、シェイクスピア劇作初期のかなり穴だらけな戯曲を、今この時代においてストレートに、かぼちゃパンツに白タイツのコスチュームプレイでやっていたら、それはまた別種の難しさがあったのではないでしょうか。

 

また、今回自分が時事ネタ的箇所に過剰に反応したのは、これがミュージカルだったから、ということもあるかなと。

「ミュージカル」という、「歌う」ことによってともすればストレートプレイより虚構性が強く感じられる演劇形態のなかに、現実に根差した話題が出てくる。それで余計生々しく感じてしまうというか。

 

ただ、「劇場」という夢々しい世界にいるからこそ、現実にコミットする内容や表現を希求する、という志向は当然だし、個人的にはお芝居というものはむしろどこかそうあってほしいと思っています。

けれど、今回はその「コミットの仕方」の難しさを痛感した上演でした。

 

自分のなかでもあまりまとまっていないため、わかりにくい書き方しかできずすみません…。

(余談ですが、これを書いている間にも、フランスでテロがあったりして、「風刺」っていったいどのように機能すれば有機的なのか、とか、そもそも「風刺」ってなんだ、とか頭がグルグルしています。。)

 

そういう、作品に対しての腑に落ちなさを脇に置いておくと、演者の皆さんはそれぞれキュートだったということを次に。。